昨年10月に「土星-メランコリー 占星術と臨床心理学」という
鏡リュウジさんと東畑開人さんのセミナーに行ってから、
先日Space Operaナミさんの「savepoint」ワークショップ参加まで、
(もっと長く見ると数年単位の気持ちの流れではあるけれど)
それこそ非常にメランコリックな問いかけが自分のなかにあって、
その答え…ではなく、思考がまとまりかけたので忘れないうちにここに書き記したいと思います。
個人的な備忘録です。
自己探求のスタートは、「何のために生まれてきたのか」という問いかけから
何のために生まれてきたんだろうと疑問に思ったときはまだOLで、ものすごく疲れていて、人生に不満だらけでした。
会社辞めたいけど、辞めてもまた次の会社で同じようなことが起こるだろうなと感じたので、
「まずは自分自身のことを知ろう」と思ったのが自己探求のきっかけ。
幸せになりたいとか、これを仕事にしようとか、
そういう気持ちはあまりなくて、ただ「納得できる人生を歩みたい」という気持ちでした。
人生ワクワクとハッピーに!と思ったが……
色々セラピーやヒーリングを学んで、「人生はワクワクでできている」と理解できたり、
「人は愛で出来ている」という体感を得たり、「楽しいことばかりが起こる」という体験もしました。
(これは、数秘3が意識で喜び、数秘10がピンクで愛など、講座の内容にもなっています)
じゃあそれで人生万事OKになったかというと、特にそうはならないんですよね。
もちろんワクワクハッピー体験が間違いなのではないのですが、
それはあくまでも物事の一面で、すべてではないんです。
大変なことだって起こるし、病気になったりもするし、仕事や家族に何かがあったりもする。
物事は光と闇でできている
陰と陽が一体となったのがこの世の中なので、ワクワクハッピー(陽)があれば、同時に陰も存在しています。
だからこそ陽に目を向けることが大事という見方もあって、
それはそれで正しいのですが、
じゃあ陰は見なくていいのだろうかという疑問が生まれます。
ポジティブばかりに目を向けていると、
壁の隙間から「陰」にじーっと見られている感じがするんですよね。
そもそも、陰って悪いものなんだろうかという疑問もありました。
一面に偏ると、歪みが生じる
すべてを陽にしようとすると、そこには無理が生じて嘘が含まれます。
例えば、理不尽な扱いを受けたとしたら、そこはまず「ありがとう」ではなくて「ふざけんな」になるはず。
(ポジティブに捉える修行は、別の話)※1
上記に挙げた「土星 メランコリー」のセミナーでは、悲しいのに悲しくないふりをしていると、
さらに病んでいく一例などが挙げられていましたが、本当に「ちゃんと落ち込む」ことは大事だなと。
思考が現実化するという考え方が非常に一般化していますが、
一歩解釈を間違って「悪いことを考えたらダメ」となってしまったら危険。
ちゃんと落ち込まないうちにポジティブ変換してしまうことは、
ごみを分別せずに土に埋めてしまう行為に似ているなと感じます。
咀嚼してない(分別していない)から、ずっと地中に残り続けてしまう。
逆に、落ち込むことが大好きで不幸に価値を置き、
ポジティブな考えを拒否する場合もあります。
それはそれで歪みなので、何故そうなっているのかを正しくとらえ直すことが大事。
ここまできて、生きる上でとても大事なことは
「正しい認識をし続けていくこと」なんじゃないかなと感じてきました。
そしてその「正しさ」とは、絶対的な唯一の見方ではなくて、
多面性で見つめていくことなんですよね。
鏡リュウジさんも、占星術を学ぶことはダイバーシティ(多様性の理解)であるとおっしゃっていましたし、
伊泉龍一さんも、タロットはパースペクティブ(多角的な視点)を大切にしていると著書やインタビューで触れています。
一つの答えを探し続ける落とし穴
物事を多角的な視点で見ていくことと、その光の当て方によって真実を見つけ出すことは非常に近い行為ですが、
そこに絶対的な答えを見出そうとすると矛盾が生じてきます。
何故なら、多角的な視点にはそれぞれさまざまな主張があるからです。
ここで一つの解を導き出そうとして(その行為自体はもちろんOK)、
一歩間違うと、答えありきのつじつま合わせになってしまう。
たとえば、Aが良いものだという前提で答えを探すと、
そういう情報しか入ってこなくなる可能性があります。
ここも対比が必要というか、
信じながら疑うみたいな、
石橋をたたいて渡る意識が必要になってくる。
疑うというのは疑心暗鬼という意味ではなくて、
問いかけです。
長くなってきたのでその2に続きます。