「えーっと。悟りって、結局はどういうこと?」
…と思ったときに手を取ったのが「仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か」。
ブッダの直弟子たちは次々と「悟り」に到達したのに、どうして現代日本の仏教徒は真剣に修行しても「悟れない」のか。そもそも、…
…と思って気軽に手を取ったら、ものすごいガチな内容で最高。
まず、どの経典をもとにして語られているか、現代の修行の状況も反映して書かれているので、机上の空論で終わっていない。
そして、難解な内容に対して語り口は軽妙なので、ついクスっと笑いながら読めてしまう。
現代風にわかりやすく表現すれば、要するにゴータマ・ブッダは、修行者たちに対して「異性とは目も合わせないニートになれ」と求めているわけで、そうしたあり方のことを「人間として正しく生きる道」であると考える現代日本人は、控えめに言っても、さほどに多くはないだろうということである。
ブッダはニート推奨…笑
悟りとは、悪い癖を永久に差し止めること
「悟り」を目指すということは、現象の側面について具体的に言えば、この盲目的で習慣的な行為、即ち癖(漏、煩悩)を、永久に差し止めようとすることである。とくにテーラワーダで強調され、最近では大乗の僧侶たちもこの用語を採用して、仏教界で盛んに語られる「気づき(sati)」というのは、そのための実践だ。
※ちなみに、上記は導入部分なので、詳しくは本文を読んでください。
この本は要約するのが難しいというか、非常に丁寧に段階が解説されているので、これを省いて理解してしまうともったいない。
個人的に理解しながら体験していくことこそが、この本の醍醐味な気がする。
この本で好きな部分
ブッダの教えは、現代日本人である私たちにとっても、「人間として正しく生きる道」であり得るのかどうか、ということである。
~中略~
彼の仏教を「人間として正しく生きる道」といった理解に回収してしまうことをやめた時に、はじめてその本当の価値は私たちに知られることになるし、また「仏教とは何か」という根本的な問題についても、正しい把握をすることが可能になるというのが、本書の基本的な立場である。
「仏教って、なんかいいこと言っているよね」と思われがちだが、そんな甘いもんではないよー、という前提。
仏教には非合理的な点もあるよ、とか。
(このくだりに便乗して書いてしまってはいけないのかもしれないが)数秘などもそうだけれど、なんというか「これで良くなる」「幸せになれる」と言われすぎるのもどうなのかなと個人的には思っているので深く共感した。
例えば数秘の0番はすべてを無にしてしまう性質であるように、何事にも優しさと同時に残酷さというものが存在していて、「良いもの」という一面だけでは語れないのだ。
人間って、それこそ仏教でいうところの「漏」という煩悩があるし、むしろそんな悪癖と付き合いながら生きていく必要があると思っている。
この本は、ブッダが解脱した後になぜか再び人間の物語の世界に戻ってきたことについて語られていて、そこからがまた面白いので、読んだ方は感想を教えてください。笑
セッション、やっています
人間の葛藤や悪い癖について関心が高い私がお話を伺います…
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