「わからなさ」が快楽
数秘術やタロットをやっていると、「何でもわかるのでは」と思われることがある。
そんなわけはない。
どんな天才でも世界のすべてを理解できている人なんていない。
(それができるのは、きっと神様だけ)
人間はどうしてもすっきりしたい生きものだ。物語で論じたように、物語的な他人の理解も、他人に分かりやすい物語を押しつける物語的不正義を発動させる。
仮にパズル的な世界理解が、物語的な世界理解のオルタナティブになるのだとしたら、分からなさを積極的に味わう能力、じりじりを美的経験として味わう能力を育てうるところにある。
「物語化批判の哲学」より
無知の知という言葉もあるけれど、「知れば知るほどわからないことがわかる」ので、そのわからなさを前にして「これから、このわからなさを解読していくんだ!」という楽しさがあると良い。
数秘術も色彩心理もタロットも「わかる」ことにアプローチをする手法だが、それと同時に「わからなさ」を知るツールでもある。
それを忘れてしまうと、万能になりたいあまりに手当たり次第に学びに手を出したり、強烈な思想を持つものに惹かれてしまったりするので、気をつけなければならないなーと思う。
学べば学ぶほど、自分の無能さにうちひしがれるのだが、「そもそも私は無だから」というスタートラインに立っていると、怖いものが減ってくる。

