自己理解は自分を縛る危険性と隣り合わせ

個性、才能、特性…

人は長所を見つけたがるが、自己分析や自己発見は行き過ぎると「強化された物語」になり、本来の自己とのギャップが生まれる。

物語はとても強い力を持つ劇薬なのだ。

そう懸念していた時に見つけたのが「物語化批判の哲学」。

人が、自身や他者を物語で捉えることを非常に段階的かつ明確に捉えていて面白い。

私たちは物語に影響を受けるのではない。物語を「使って」情動を抱くのだ。

物語化批判の哲学」P60

私たちは人間なので「適切な情動」を抱くことが難しいが、それに対してアリストテレスの中庸が引用されている。

私の講座も、「すべてはバランスである」という考えのもとに作ったので、やはりバランスを俯瞰して常に修正していく、というアプローチは良かったんだなと思いつつ、こうやって関連性を見つけて自己の意見を強化していくことがまさに物語化じゃん!と思ったりするのだった。

個性や特性を「強化しない」という道

数秘を使って自分の性質を洗い出して17年。

自分を知ることは、自分を縛ることにもつながるな…という実感がある。

例えば、私は数秘術のバースナンバーが5番だ。

5番のおもな意味

自由、平等、言葉、交流、五感…

リリ数秘術による

自由で柔軟、言葉が得意…というのが定番だが、そこに囚われすぎると、5番の意味合いではない部分(例えば、勤勉さや頑固さなど)が見逃されてしまう。

こういった、「あるのにないと思い込んでしまう」のが危険だ。

とはいえ、個性を強化したほうが特性として認識されやすいし、才能として開花しやすいのも事実。

現段階の結論として、(ある程度個性を認識したあとは)個性や特性の強化は意識しなくて良い、と思っている。

個性にこだわらなことで見えてくる個性

人の個性は、自然と溢れるし滲み出てくる。

当人があまり「出そう」としすぎると、あざとくなる。(最近それに気づいた)

こういう思考になるときと「個性を出していこう!」と思うときが、寄せてはかえす波のように繰り返すので、いつまた変わるかわからないが、今は「何も決めないし敢えて説明しない」のが心地が良い。

たしか、NO NAMEというブランドがあったなと思い出した。

そんな気分だ。